幾千もの時空を重ねて











   この運命も……、どこで間違えたのだろうか……


考えても思い当たらない。
細心の注意を払ってきたはずだった。
だが、しかし……






リズヴァーンは逆鱗を握りしめ、時空を遡ることを決意する。
何度目になるのかも、もはや定かではない。
いや、数えようと試みれば分かることだ。
すべての失敗を、その心に、灼けるような胸の痛みと共に刻みつけているのだから。
しかし数など、かぞえても意味の無いことだった。
彼にとって大切なのは、失敗の数の多少ではなく、たった1つの成功、それだけなのだから。
その1つの為なら、たとえ何万失敗を繰り返そうとも、たとえ他のすべてと引き替えにしようとも、
決して惜しくはない。


   ……もっと始めに…、……この運命のすべてが派生するその原初に遡らねば……


時空跳躍






ゆっくりとリズヴァーンは眼を開ける。
その瞬間も油断無く辺りに注意を払う。


風の音。
木々のざわめき。
十三夜の、すこしだけ欠けた月が煌々と輝いている。


   ……ここは


リズヴァーンにはこの場所に確信があった。


   ……鞍馬山…か


木の根道と呼ばれる鞍馬寺・奥の院から貴船に抜ける山の南西面。
何度目かになる。


   …しかも……


この先の杉の巨木のうろに、遮那王と名乗っている頃の九郎が泣いている。
数え七つの昨日、ここ鞍馬に預けられたばかりの九郎が、慣れぬ庫裡での独り寝から抜けだし
常磐ははを思って/源氏の子と蔑まれたことに憤って/腹が減ったのを我慢して……
時空を跳躍ぶたびに理由は様々に変化したが、とにかく、右手の大きな杉のうろに、九郎がいるはずだった。
数歩、その杉の巨木に近付いたリズヴァーンの足が止まる。


   ……?


当然、いると思っていたその場所に、その少年はいなかった。






翌日も遮那王はこの巨杉には来なかった。






翌々日、リズヴァーンは初めて知った。
今回のこの時空ときに、源九郎義経が存在していないことを。
源九郎義経の存在しない運命など初めてだったので、リズヴァーンは少なからず驚いた。
あるはずの運命
いるはずの人物
時空を跳躍もどり、当然いるはずの人物と出会い、それらの人々の言動に注意を払い、
そうあるべき(とリズヴァーンが経験しているがゆえに知ってしまっている、失敗しない)方向へと導き、
神子を救い、神子を還るべき世界へと……
それなのに、何故この時空ときには九郎がいないのか?
天は、私に何故ここから始めよと云うのか?
九郎義経の存在しないこの時空ときで、私に何を?


リズヴァーンはすぐさま行動した。

比叡山の山上から東麓にかけて点在する三塔十六谷の何処かに、
学僧として/稚児として/鬼子と忌み嫌う世間から逃れるように/……、理由はともかく、
まだ武蔵坊と称する前の10歳の弁慶がいるはずだった。
そして、早朝の勤行を東塔の1つで行っている、まだあどけなさの残る面立ちの彼を発見する。
武蔵坊弁慶は間違いなく、この時空ときに存在した。


京、一条の安倍家では、梶原景時が元服前の幼名で、陰陽道の習得に励んでいる。


六波羅の平経盛屋敷には、3歳の敦盛がいる。


熊野には、生まれて2年と経たないヒノエが……


それにもかかわらず、九郎義経が生まれなかった運命。


   源九郎義経
   この者に代わる誰かが八葉に加入するということなのだろうか?
   九郎義経は、神子の八葉となる。
   その事を知った私は九郎を鍛えた。
   神子の楯として、神子の刃として……


   その役割を、今度は誰か別の者がするというだけのこと。
   誰が、地の青龍となったところで同じ事。
   私はその者を鍛えて、神子の楯と……


   分かってはいる。
   分かってはいるのだ
   私は九郎を、楯や剣としてしか見ていない
   私の思いは1つのみ。神子を救い、無事、神子の世界に帰すこと
   その為ならば、他のことなど取るに足りぬ些細な事


   のはずなのに……しかし、……この気持ちは?


   嗚呼、何故、この時空ときには九郎がいないのだ?






理由は簡単だった。
源義朝は、長田忠致・景致親子に暗殺されたという。
常磐と出会い、九郎義経をなす前に。


ならば、私のやることも簡単だ。
源義朝を、平治の乱の後、長田忠致・景致親子に暗殺される前に助ければいい。
そして義朝と常磐とが出会えば……


   そうか、これもある意味、九郎を助けることになるのであろう……
   そのような力を、我が身が持ち得ていたことを、今こそ嬉しく想う
   九郎…


リズヴァーンは時空とき跳躍んだのだった。






そして10年の後






風の音。
木々のざわめき。
十三夜の、すこしだけ欠けた月が煌々と輝いている。
杉の巨木に近付くリズヴァーンの足が止まる。


目の前の、杉の巨木のうろには


たった今まで泣いていたのであろう眼を、まん丸に見開いたまま、
突然目の前に現れた金髪碧眼の大男に、どう対処していいのか分からぬまま固まった
幼き遮那王・九郎義経が、その虚の中にいた。


忘れようにも忘れられぬ面立ちである。
リズヴァーンは、この時初めて瞬時のような10年が過ぎたことを知った。


  「…遮那王……」


そう言うのが、やっとだった。
遮那王は遮那王で、名乗りもしていないのに突然目の前の大男は、自分の名を呼んだのだ。
驚いた。
しかし、幼い遮那王はその驚きを悟られまいと呼吸を整え、そして言った。


  「お前は、天狗か?」


  「……天狗?」


  「そうだ」


   ああ、何もかもが懐かしい……
  「フッ……」


  「な、何を笑う!」


   私は、これ程までに……
  「……答えられない」


  「答えられないとは、やはり天狗なのだな!」


   ……九郎…
  「天狗……、そう…、人によっては私のことを天狗とも、鬼とも呼ぶ…」


  「お、鬼!」


   ああ、やっと逢えたのだな
  「……何を、泣いていた?」


  「な!? な、泣いてなど、いない!」


   お前の瞳がこれほど懐かしいとは
  「……」


  「本当だ! 泣いてなど……」


   九郎よ
  「……そうか…」


  「……」


   ……私はお前と
  「……」


  「……本当は……」


   …知り合えたことを嬉しく思う…
  「……」


  「俺がここにいたことは、誰にも言うな」


   ああ、九郎だな……
  「…言いはしない」


  「絶対だからな!」


   フッ、この物言い……
  「フッ……」


  「わ、笑うな!」


   懐かしい……
  「ああ、絶対だ」


  「泣いていたのも、内緒だからな!」


   いつの時空にあっても、この性格は変わらないのだな…
  「やはり、泣いていたのだな……」


  「あ……」


リズヴァーンは九郎を抱きしめた。
驚きながらも、九郎もリズヴァーンのその行為に嫌悪は感じなかった。


  「誰もが俺を腫れ物に触るように扱う。そして、その実、皆が俺を忌み嫌っている」


  「……九郎。…いや、遮那王」


  「父は謀反人だ。母にも俺は捨てられた。誰もがそう言っている。
   嫌わずとも、誰も俺との関係を平家に詮索されることを恐れて近付いてなどくれない」


  「……」


  「天狗のお前でも、やはり嫌だろう」


  「ではお前は、天狗や鬼と呼ばれる私を嫌悪するのか?」


  「何故? 何故、嫌悪しなければならないのだ?」


  「ならば……、私もお前を嫌悪など、しない」


  「そうなのか?」


  「心に抱いた嫌悪は、他の者にも嫌悪の感情を生み、拡げる。憎悪もまた然り。
   それならば、信頼や友愛といった感情を心に抱けたなら……」


  「信頼や友愛…」


  「うむ」


  「それが産まれ、拡がる…」


  「そうだ……。これから先、お前は、お前自身を信頼し、受け入れてくれる仲間と出会うことになる」


  「仲間……」


  「私もその1人だ」


  「え? お前も仲間なのか?」


  「それに、義朝は謀反人では……ない」


  「ち、父上を知っているのか?」


  「……無論」


  「どうしt」


  「常磐も決して、お前を捨ててはいない」


  「母上も、知っているのか?」


返事の代わりに、穏やかにリズヴァーンは肯いた。


  「お前はいったい何者なんだ?」


  「鬼とも天狗とも」


  「名は? 名前は何と言うんだ?」


  「我が名はリズヴァーン」


  「りずう゛ぁ…、りずばん、りずばー……? 言いづらい名だな」


  「フッ、……そうか」


  「教えてくれ、父上や母上のことを」


  「うむ。しかし、今は庫裡に戻ったほうが良い」


  「何故…?」


  「間もなく朝になる。お前がいなくなったと騒ぎ立てる輩も、起き出す頃だろう」


  「そうか……そうだな。…分かった。では、いつ教えてくれる?」


  「……いつでも」


  「え?」


  「まずは、明日の夜ここで」


  「本当か!」


  「……うむ…」


  「どうして? どうして俺なんかに?」


  「『なんか』……。自分を卑下することはない」


  「でも……」


  「九r、いや、遮那王。お前はお前、それで充分ではないか」


  「俺は……俺」


  「それに…、私はいつもお前と共にある」


  「りず……」


  「仲間…なのだ。いつでも、お前のことを見守っている」


  「仲間……」


  「さ、急いで戻りなさい」


そのリズヴァーンの言葉に促されて、九郎の顔は明るく輝いた。


  「はい!」


木の根道を走って戻る後ろ姿は、間もなく鞍馬寺という辺りで、いったん止まって、振り返り


  「りずばーん」


そう呟いた。
すると、呟いた本人も信じていなかったのだが、名を呼んだリズヴァーンあいてが、音もなく現れて


  「問題ない。お前は1人ではないのだから」


そう、頭を撫でながら囁いた。
九郎には、この一度の事だけで充分だった。


   信じられる
   『りずばーん』は俺の仲間


無垢にそう信じ込んだ九郎であった。


  「分かった。 明日の夜!」


そう1言、満面の笑みでリズヴァーンに叫ぶと寺の庫裏に走って入った。
その姿を眺めながら、


   1人ではない、……その言葉は、私にこそ向けられるべきなのだろうな


そして、こうも思う。


   また九郎との日々が始まるのだ
   先の時空とき以上に九郎を鍛え、多くの事を教えなければ


そう思いながら、リズヴァーンは木の根道の奥へ、結界を張るべく向かうのだった。
マスクの下で微笑みながら











10/01/09 UP